2005年 08月 24日
「ことばのかべ」は笑顔で越えて・・・ |
ぼくたち「にっぽん」に生活するものにとって、やはり異国は海を越えてゆくもの。「海外」。ぼくたちの国には、海という大きな壁に囲まれている。それは「安心」を与えてくれるものでもあるし、心を閉ざす道具にもなる。「国」という概念に縛られていればの話ではあるんだが・・・。
ぼくは英語が得意ではない。一生懸命勉強した「中国語」ももうすっかり忘れ去ろうとしている。一時だけ低くなった「言葉の壁」は、また高くなりつつある。最近は海外に出かけることもなくなってしまったしなぁ。今海を越えて「異国」を旅するには、なにかしらの覚悟みたいなものが必要になってくるかも。
昨日「尺八教室」に稽古に出かけた折、またまた先生と話し込んでしまった。
先生は先日「台湾」に演奏会に出かけられて、たいそう「台湾」がお気に入りに。そこで「中国語」を始めることに。ぼくが以前中国語を勉強していたことを話していたので、いろいろと相談されたのだ。ぼくが勧めたのは、「ラジオ講座」。耳からの音で勉強するのが一番効果的だから。すると早速テキストを買って始められた。それからひと月、毎日続けておられる。ぼくは「尺八」を週に2日ほど練習するだけ・・・・・「続けること」の大切さを考えてしまった。
「かべ」は自分で作ってしまうものなのではないか? そんな気がする。
もちろん、言葉を話せるのは、ある意味便利なことかもしれない。でも話せなくて当たり前。その国に生まれ育ったのではないのだから。ただ、「笑顔」というのは共通の言葉だと思う。それで充分じゃないだろうか? そしてもうひとつ。その国の「あいさつ」の言葉。「こんにちは。ありがとう。またあいましょう。おいしかった。」などなど。
バリ島で、ホテルのボーイさんに挨拶したときのこと。前日英語で「グッドモーニング」といったときよりも、次の日、昔大学でかじったインドネシア語で「スラマッパギ」(おはようございます)といったときの「笑顔」が何倍もうれしそうだったのが忘れられない。
上海では、中国語も英語も話せない「ドイツ人」のおじさんが「ひとり旅」。ドイツ語だけで、素敵な笑顔をふりまきながら、楽しそうに過ごしていたのも、印象深い。
どこだって、少しの勇気と素敵な「笑顔」があれば、「ことばのかべ」をこえて、海を渡っていけそうな気がする。これから旅をするひとへ。「あなただけの素敵な旅へ、いってらっしゃい!!」
そして、自分へ。「壁を乗り越えて、どこまでもゆけ!!」
ぼくは英語が得意ではない。一生懸命勉強した「中国語」ももうすっかり忘れ去ろうとしている。一時だけ低くなった「言葉の壁」は、また高くなりつつある。最近は海外に出かけることもなくなってしまったしなぁ。今海を越えて「異国」を旅するには、なにかしらの覚悟みたいなものが必要になってくるかも。
昨日「尺八教室」に稽古に出かけた折、またまた先生と話し込んでしまった。
先生は先日「台湾」に演奏会に出かけられて、たいそう「台湾」がお気に入りに。そこで「中国語」を始めることに。ぼくが以前中国語を勉強していたことを話していたので、いろいろと相談されたのだ。ぼくが勧めたのは、「ラジオ講座」。耳からの音で勉強するのが一番効果的だから。すると早速テキストを買って始められた。それからひと月、毎日続けておられる。ぼくは「尺八」を週に2日ほど練習するだけ・・・・・「続けること」の大切さを考えてしまった。
「かべ」は自分で作ってしまうものなのではないか? そんな気がする。
もちろん、言葉を話せるのは、ある意味便利なことかもしれない。でも話せなくて当たり前。その国に生まれ育ったのではないのだから。ただ、「笑顔」というのは共通の言葉だと思う。それで充分じゃないだろうか? そしてもうひとつ。その国の「あいさつ」の言葉。「こんにちは。ありがとう。またあいましょう。おいしかった。」などなど。
バリ島で、ホテルのボーイさんに挨拶したときのこと。前日英語で「グッドモーニング」といったときよりも、次の日、昔大学でかじったインドネシア語で「スラマッパギ」(おはようございます)といったときの「笑顔」が何倍もうれしそうだったのが忘れられない。
上海では、中国語も英語も話せない「ドイツ人」のおじさんが「ひとり旅」。ドイツ語だけで、素敵な笑顔をふりまきながら、楽しそうに過ごしていたのも、印象深い。
どこだって、少しの勇気と素敵な「笑顔」があれば、「ことばのかべ」をこえて、海を渡っていけそうな気がする。これから旅をするひとへ。「あなただけの素敵な旅へ、いってらっしゃい!!」
そして、自分へ。「壁を乗り越えて、どこまでもゆけ!!」
by bochibochi35
| 2005-08-24 11:08
| ぼちぼち