2008年 06月 04日
「記念」と「祈念」の日 |
東北の農村地帯をレンタカーで走り、「さくらんぼ」ののぼりを見つけて立ち寄りました。
ほおばった「さくらんぼ」は、それまで生きてきた中で、一番おいしい果物でした。
「佐藤錦」の完熟で、出荷できないものを道端で売っていたました。ひと盛「300円」。
たべても食べてもなくなりませんでした。 これは、10年も前の話です。
いまも、そのさくらんぼを超える果物に、出会ったことはありません。10年間、不動の1位。
それは、10年前の「結婚記念日」の何日か後の話です。そう、今年満10年を迎えました。
世間様では、きらきら輝く「炭素」の塊を贈るのでしょうか?できればいいですねぇ。
我が家では、そんなことを知ってかしらずか、はたまた知らないフリをしているのか・・・。
深く追求することなしに、その日を迎えました。そのうち「何か」しよう、といいながら。
実は、友人の中にその日の指定便で贈物をしてくださったかたがいました。
「塗箸」のセットを贈ってくださったのは、ぼくらのちょうど半年まえに結婚した友人夫妻。
「お菓子の詰め合わせ」を贈ってくださったのは、ブログを通じて仲良くなった方。
本当にありがとうございます。うれしさに涙がでそうになりました。
人はいろんな「記念日」を重ねながら生きていきます。
自分では、あまり気にかけていなかった「記念日」は、実は大切な日であることを、
大切な友人たちが気づかせてくれました。反省して、これから記念日を大切にします。
*******************************
「祈念」といえば、今日はぼくの中では「平和祈念の日」です。「?」と思われるのが普通です。
おそらく日本人には、もうすっかり忘れられている事件が起きた日ですから・・・。
当のお国でさえも、もう若年層には知らない人も多いと聞きます。
19年前の今日。恐ろしいニュースがテレビの画面に流れました。
丸腰の人たちに発砲しながら向っていく戦車。目を疑いました。
その年の春に、ぼくは一浪を経て「中国学科」に入学しました。
その日を境に、中国人の老師は濃紺のスーツに黒のネクタイで講義をされるようになりました。
遠い母国の哀しい出来事は、言葉では表せなかったのだとおもいます。
世界には、ぼくたちが知らない「平和祈念の日」をもっている人たちも数多くいるに違いありませんが、とにかく「平和を願い祈る日」というものを持つ意味は、大いにあると思うのです。
思い出したときに、こうして想いを綴る場所が存在するというのは、ありがたいことです。
「今日の雨」に
「傘がない」とは
いうけれど
濡れてまいろう
五月雨だもの
ほおばった「さくらんぼ」は、それまで生きてきた中で、一番おいしい果物でした。
「佐藤錦」の完熟で、出荷できないものを道端で売っていたました。ひと盛「300円」。
たべても食べてもなくなりませんでした。 これは、10年も前の話です。
いまも、そのさくらんぼを超える果物に、出会ったことはありません。10年間、不動の1位。
それは、10年前の「結婚記念日」の何日か後の話です。そう、今年満10年を迎えました。
世間様では、きらきら輝く「炭素」の塊を贈るのでしょうか?できればいいですねぇ。
我が家では、そんなことを知ってかしらずか、はたまた知らないフリをしているのか・・・。
深く追求することなしに、その日を迎えました。そのうち「何か」しよう、といいながら。
実は、友人の中にその日の指定便で贈物をしてくださったかたがいました。
「塗箸」のセットを贈ってくださったのは、ぼくらのちょうど半年まえに結婚した友人夫妻。
「お菓子の詰め合わせ」を贈ってくださったのは、ブログを通じて仲良くなった方。
本当にありがとうございます。うれしさに涙がでそうになりました。
人はいろんな「記念日」を重ねながら生きていきます。
自分では、あまり気にかけていなかった「記念日」は、実は大切な日であることを、
大切な友人たちが気づかせてくれました。反省して、これから記念日を大切にします。
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「祈念」といえば、今日はぼくの中では「平和祈念の日」です。「?」と思われるのが普通です。
おそらく日本人には、もうすっかり忘れられている事件が起きた日ですから・・・。
当のお国でさえも、もう若年層には知らない人も多いと聞きます。
19年前の今日。恐ろしいニュースがテレビの画面に流れました。
丸腰の人たちに発砲しながら向っていく戦車。目を疑いました。
その年の春に、ぼくは一浪を経て「中国学科」に入学しました。
その日を境に、中国人の老師は濃紺のスーツに黒のネクタイで講義をされるようになりました。
遠い母国の哀しい出来事は、言葉では表せなかったのだとおもいます。
世界には、ぼくたちが知らない「平和祈念の日」をもっている人たちも数多くいるに違いありませんが、とにかく「平和を願い祈る日」というものを持つ意味は、大いにあると思うのです。
思い出したときに、こうして想いを綴る場所が存在するというのは、ありがたいことです。
「今日の雨」に
「傘がない」とは
いうけれど
濡れてまいろう
五月雨だもの
by bochibochi35
| 2008-06-04 10:25
| ぼちぼち