2015年 09月 03日
旅する「大門玉手箱」 |
奈良の一箱ふるほん+あるふぁ市「大門玉手箱」事務局
旅するふるほん屋ぼちぼち堂 下村イゾウ
その昔、助けた海亀と一緒に竜宮城を旅した人がいたというお話を皆さん聞いたことがあると思います。その人は旅の終わりに「玉手箱」を贈られます。もらうとあけたくなるのが人情だと思うのです。皆さんは開けずに我慢が出来るでしょうか。今書いていてふと昔の発禁本のことを思い出してしまいました。今の人も昔の人もしてはいけないといわれるとしたくなるものなのでしょう。これから綴るお話は、奈良の一箱ふるほん+あるふぁ市「大門(おおもん)玉手箱」のお話です。
奈良にある東大寺は昔、今よりももっと大きなお寺でしたが、時代とともに少しずつ境内が狭くなっています。もっとも賑やかだったであろう天平時代の転害門が今もひっそりと残っているのを皆さんご存知でしょうか。日本の歴史資料集には国宝東大寺転害門として紹介されています。その門前に昭和時代にできた公設市場がありました。名前を大門市場といいました。一度は栄えた市場も役割を終え、5年前には最後のともし火が消えようとしていました。少しでもにぎわいを取り戻そうと始めたイベントが、この一箱ふるほん+あるふぁ市の「大門玉手箱」です。ある畑で焚き火をしながら思いついた名前が「玉手箱」でした。風にのって自由に動くケムリをみていたからでしょうか。ぼく自身も白髪が目立つようになっていた頃で、禁断の玉手箱をひらくことへの好奇心が最高潮だったかもしれません。
市場の閉鎖とともに路頭に迷った「大門玉手箱」は小さな神社に拾われます。いつも門が閉まったままの小さな神社の神様がお声をかけてくださいました。「ここで玉手箱をひらいてみんかね。」ようやく次の港が見えたような気持ちになりました。玉手箱にわが家ができたのです。今思えば不思議なご縁はその時から始まったような気がします。次から次へと玉手箱が旅をするようになりました。ゲストハウスに図書館や博物館。公民館にカフェなど。とつぎつぎご縁が繋がって「おでかけ大門玉手箱」が旅をします。たくさんの箱主さんとお客さんが次のご縁をつないでくださるのです。その頃から冗談で「海を渡ってみようか」と声を上げるようになりました。
「大門玉手箱キャラバン」の夢は地球をまわることです。お客さんで大門玉手箱に来てくださった方に背中を押していただきました。「韓国ならできますよ!」。半信半疑でも信じてみるという習慣を初宮さんに授けていただいていたので、すぐに「韓国へ下見に行きましょう。」と答えることができました。「一回の下見で開催なんて、なんと無謀なんだろう。」そう思いましたが不思議と叶ってしまったのです。「韓国ソウル・光化門玉手箱」は12組の参加のもとに開かれて、大成功に終わりました。本当に協力してくださった皆さんのおかげです。
旅の終わりは「パリ凱旋門」へと決めていました。そこまで行けばいいけれど、まさか行くまいと思っていたのです。誰が本気で開催できると思ったでしょう。それなのに下見旅行へ出かけ、場所まで決めてきたのですから、まずもって自分が驚いています。神様仏様は世界のどこへ行っても見守ってくださるものなのですね。終着駅は始発駅です。ひとつの旅が終わっても、自由の女神様が呼んでいるような気がします。
本は自分が知らない世界を旅させてくれる「旅券」のようなものだと思います。世の中の不思議を教えてくれる海図ともいえるかもしれません。ただ「旅券」だけもって旅をするのではなく、旅の楽しい「道具」ももっていたいですね。その「道具」が「+あるふぁ」なのだと感じるのです。「おでかけ玉手箱」は、新しい世界とぼくら箱主を結び付けてくれる「パンドラの箱」ではないかと思います。開けてしまうと次々に開いていかないと収まらなくなります。世界は広く、深く、面白いのです。
旅をするには平和でなければなりません。ぼくらが「おでかけ玉手箱」で出来ることといえば奈良で育てた「平和の蓮」の種を蒔くことぐらいでしょうか。その種が芽生えるかどうかは問題ではありません。種まきの旅は、とても楽しく面白いものです。極楽へ旅立つ前に、今の「一瞬」を存分に楽しんでも良いのではないでしょうか。ぼくもいたずらに白髪になったのではないと感じます。白髪とともに「遊び心」もついてきました。玉手箱のケムリにも最近心地よさを感じています。ケムリが出て空になった玉手箱に、楽しい思い出をいっぱいに詰め込んで行きたいと思います。
そうそう冒頭の玉手箱のお話。書いていて思いついたのですが、歳をとってからも楽しむことができるという意味かもしれません。人生の旅はいつ終わるかわかりません。長い人生の途上にあるのか、明日終わるのか、誰にもわからないものです。ぼくももう45歳になりましたが、いつ西へ旅立つのかわからない今、やりのこしたことがないように楽しみながら種まきをしたいと思うのです。歳をとった今になって面白いことに気がつきました。長くても短くてもこれからの人生で今が一番若いということ、そして旅立ちの時まで新しく初めての日々のくりかえしであるということに。海亀を助けた若者は玉手箱を開いて歳をとった今から、また面白い日々が始まるのではないかと思います。一緒に旅に出ましょう。
旅するふるほん屋ぼちぼち堂 下村イゾウ
その昔、助けた海亀と一緒に竜宮城を旅した人がいたというお話を皆さん聞いたことがあると思います。その人は旅の終わりに「玉手箱」を贈られます。もらうとあけたくなるのが人情だと思うのです。皆さんは開けずに我慢が出来るでしょうか。今書いていてふと昔の発禁本のことを思い出してしまいました。今の人も昔の人もしてはいけないといわれるとしたくなるものなのでしょう。これから綴るお話は、奈良の一箱ふるほん+あるふぁ市「大門(おおもん)玉手箱」のお話です。
奈良にある東大寺は昔、今よりももっと大きなお寺でしたが、時代とともに少しずつ境内が狭くなっています。もっとも賑やかだったであろう天平時代の転害門が今もひっそりと残っているのを皆さんご存知でしょうか。日本の歴史資料集には国宝東大寺転害門として紹介されています。その門前に昭和時代にできた公設市場がありました。名前を大門市場といいました。一度は栄えた市場も役割を終え、5年前には最後のともし火が消えようとしていました。少しでもにぎわいを取り戻そうと始めたイベントが、この一箱ふるほん+あるふぁ市の「大門玉手箱」です。ある畑で焚き火をしながら思いついた名前が「玉手箱」でした。風にのって自由に動くケムリをみていたからでしょうか。ぼく自身も白髪が目立つようになっていた頃で、禁断の玉手箱をひらくことへの好奇心が最高潮だったかもしれません。
市場の閉鎖とともに路頭に迷った「大門玉手箱」は小さな神社に拾われます。いつも門が閉まったままの小さな神社の神様がお声をかけてくださいました。「ここで玉手箱をひらいてみんかね。」ようやく次の港が見えたような気持ちになりました。玉手箱にわが家ができたのです。今思えば不思議なご縁はその時から始まったような気がします。次から次へと玉手箱が旅をするようになりました。ゲストハウスに図書館や博物館。公民館にカフェなど。とつぎつぎご縁が繋がって「おでかけ大門玉手箱」が旅をします。たくさんの箱主さんとお客さんが次のご縁をつないでくださるのです。その頃から冗談で「海を渡ってみようか」と声を上げるようになりました。
「大門玉手箱キャラバン」の夢は地球をまわることです。お客さんで大門玉手箱に来てくださった方に背中を押していただきました。「韓国ならできますよ!」。半信半疑でも信じてみるという習慣を初宮さんに授けていただいていたので、すぐに「韓国へ下見に行きましょう。」と答えることができました。「一回の下見で開催なんて、なんと無謀なんだろう。」そう思いましたが不思議と叶ってしまったのです。「韓国ソウル・光化門玉手箱」は12組の参加のもとに開かれて、大成功に終わりました。本当に協力してくださった皆さんのおかげです。
旅の終わりは「パリ凱旋門」へと決めていました。そこまで行けばいいけれど、まさか行くまいと思っていたのです。誰が本気で開催できると思ったでしょう。それなのに下見旅行へ出かけ、場所まで決めてきたのですから、まずもって自分が驚いています。神様仏様は世界のどこへ行っても見守ってくださるものなのですね。終着駅は始発駅です。ひとつの旅が終わっても、自由の女神様が呼んでいるような気がします。
本は自分が知らない世界を旅させてくれる「旅券」のようなものだと思います。世の中の不思議を教えてくれる海図ともいえるかもしれません。ただ「旅券」だけもって旅をするのではなく、旅の楽しい「道具」ももっていたいですね。その「道具」が「+あるふぁ」なのだと感じるのです。「おでかけ玉手箱」は、新しい世界とぼくら箱主を結び付けてくれる「パンドラの箱」ではないかと思います。開けてしまうと次々に開いていかないと収まらなくなります。世界は広く、深く、面白いのです。
旅をするには平和でなければなりません。ぼくらが「おでかけ玉手箱」で出来ることといえば奈良で育てた「平和の蓮」の種を蒔くことぐらいでしょうか。その種が芽生えるかどうかは問題ではありません。種まきの旅は、とても楽しく面白いものです。極楽へ旅立つ前に、今の「一瞬」を存分に楽しんでも良いのではないでしょうか。ぼくもいたずらに白髪になったのではないと感じます。白髪とともに「遊び心」もついてきました。玉手箱のケムリにも最近心地よさを感じています。ケムリが出て空になった玉手箱に、楽しい思い出をいっぱいに詰め込んで行きたいと思います。
そうそう冒頭の玉手箱のお話。書いていて思いついたのですが、歳をとってからも楽しむことができるという意味かもしれません。人生の旅はいつ終わるかわかりません。長い人生の途上にあるのか、明日終わるのか、誰にもわからないものです。ぼくももう45歳になりましたが、いつ西へ旅立つのかわからない今、やりのこしたことがないように楽しみながら種まきをしたいと思うのです。歳をとった今になって面白いことに気がつきました。長くても短くてもこれからの人生で今が一番若いということ、そして旅立ちの時まで新しく初めての日々のくりかえしであるということに。海亀を助けた若者は玉手箱を開いて歳をとった今から、また面白い日々が始まるのではないかと思います。一緒に旅に出ましょう。
by bochibochi35
| 2015-09-03 21:30
| もくもく玉手箱