2006年 07月 01日
「イバラード」の世界 |
国鉄茨木駅は、1970年の万国博覧会の入り口の駅として整備されたと聞く。
ぼくが生まれたのは、その年である。
その駅前に、ぼくの母校がある。ひとよんで「駅前自由学園」。
当時、府立の高等学校で、制服がないのは、この高校だけだったのではないか。
今のことは、しらないのだけれど・・・・。
校則なんかは、あるようでないような、ないようでもあったような覚えがある。
標準服という、制服のようなものはあったが、強制はされない。
常識の範囲内で、自由であった。
それでも、ぼくは学生服で通学することがおおかった。毎日変えるような服がないから。(笑)
小さな声で、言うが、ぼくは「鉄道研究部」にはいった。
剣道部にするかは、迷ったけど、なぜか部員が少ないほうを選んだ。
ぼくが入部すると3年生が引退し、2年生がいなかったので、突然部長に任命された。
4月からである。最初の仕事が「予算交渉」。
学校側の「文化部長」の先生を囲み、各部の部長がしのぎを削る舞台?だ。(笑)
とにかく、1年間の活動費を、そこでぶんどってこなくてはいけない。
ぼくなんか、右も左もわからない。
「鉄研」が買うものといえば、「鉄道模型」くらい。予算がでるのか???
で!でた!!
当時の文化部長は、美術の先生。なぜか弱小文化部には、やさしかった。
この先生が、ぼく達が「チョッキュー先生」とよんでいた、「井上直久先生」。
いまは有名になられたけれど、そのときは、普通の美術の先生だと思っていた。
宮崎アニメの「耳をすませば」の背景画を描いていたひとである。
その独特の世界は「イバラード」と名付けられ、不思議な風景に懐かしさが混じる。
そう、ぼくの故郷「茨木」をモチーフにされているからだ。
この世界が、クラフト・エヴィング商會の「アゾット」と重なる風景なのだ。
ぼくの過去を記憶の中から、引き出して、虹色に塗りなおしてくれる。
その年の「文化祭」で、ぼくらは「鉄道模型レイアウト」と呼ばれる「ジオラマ」をつくった。
もちろん、結構な額の予算で購入した、立派な列車がその風景を走る。
チョッキュー先生も見に来てくださって、誉めていただいた。
その後、随分時節が過ぎたころ、あの「耳をすませば」が上映された。
そして、ぼくは、あの井上直久先生が、そんな不思議な絵を描かれていたことを知った。
その不思議な絵のなかに、たくさんの電車が描かれているのをみて、なるほどと思う。
ぼく達の活動にとても協力的だった先生に、まだお礼の言葉を言っていない。
いつかどこかの遠いところで、ばったりとお会いしたときに、
ゆっくりと、あつく、お礼を申し上げたいと思っている。
ただ、ぼくのことなど、すっかり忘れてしまわれていることだろうと思うのだが・・・・。
ぼくが生まれたのは、その年である。
その駅前に、ぼくの母校がある。ひとよんで「駅前自由学園」。
当時、府立の高等学校で、制服がないのは、この高校だけだったのではないか。
今のことは、しらないのだけれど・・・・。
校則なんかは、あるようでないような、ないようでもあったような覚えがある。
標準服という、制服のようなものはあったが、強制はされない。
常識の範囲内で、自由であった。
それでも、ぼくは学生服で通学することがおおかった。毎日変えるような服がないから。(笑)
小さな声で、言うが、ぼくは「鉄道研究部」にはいった。
剣道部にするかは、迷ったけど、なぜか部員が少ないほうを選んだ。
ぼくが入部すると3年生が引退し、2年生がいなかったので、突然部長に任命された。
4月からである。最初の仕事が「予算交渉」。
学校側の「文化部長」の先生を囲み、各部の部長がしのぎを削る舞台?だ。(笑)
とにかく、1年間の活動費を、そこでぶんどってこなくてはいけない。
ぼくなんか、右も左もわからない。
「鉄研」が買うものといえば、「鉄道模型」くらい。予算がでるのか???
で!でた!!
当時の文化部長は、美術の先生。なぜか弱小文化部には、やさしかった。
この先生が、ぼく達が「チョッキュー先生」とよんでいた、「井上直久先生」。
いまは有名になられたけれど、そのときは、普通の美術の先生だと思っていた。
宮崎アニメの「耳をすませば」の背景画を描いていたひとである。
その独特の世界は「イバラード」と名付けられ、不思議な風景に懐かしさが混じる。
そう、ぼくの故郷「茨木」をモチーフにされているからだ。
この世界が、クラフト・エヴィング商會の「アゾット」と重なる風景なのだ。
ぼくの過去を記憶の中から、引き出して、虹色に塗りなおしてくれる。
その年の「文化祭」で、ぼくらは「鉄道模型レイアウト」と呼ばれる「ジオラマ」をつくった。
もちろん、結構な額の予算で購入した、立派な列車がその風景を走る。
チョッキュー先生も見に来てくださって、誉めていただいた。
その後、随分時節が過ぎたころ、あの「耳をすませば」が上映された。
そして、ぼくは、あの井上直久先生が、そんな不思議な絵を描かれていたことを知った。
その不思議な絵のなかに、たくさんの電車が描かれているのをみて、なるほどと思う。
ぼく達の活動にとても協力的だった先生に、まだお礼の言葉を言っていない。
いつかどこかの遠いところで、ばったりとお会いしたときに、
ゆっくりと、あつく、お礼を申し上げたいと思っている。
ただ、ぼくのことなど、すっかり忘れてしまわれていることだろうと思うのだが・・・・。
by bochibochi35
| 2006-07-01 08:53
| 今は昔のつれづれ草