2006年 07月 11日
カナリヤとエリーゼのために・・・♪ |
きのう書いた「カナリヤ」は、雑貨のお店。
店主さんが、開店とその後のお話を、とてもわかりやすくまとめておられます。
これを読むと、なんだかぼくにも「お店」ができるように思ってきました。
「やりたい」と思ったら、本当にやるか、やらないか・・・・。それだけなんですよねぇ。
ただ、「つづけてゆくこと」が、やはり一番難しいことなのかもしれません。
**********************************************
いま、この文章を綴っている間、「エリーゼのために」が流れてきました。
先日、「おかいもの彗星」がもたらしてくれたCD「クラシックベスト100・2」の中の曲。
この曲には、思い出が詰まっているんです。月並みですけど・・・・。
ぼくが、通った「茨木市立三島幼稚園」の時のお話です。
団塊ジュニアの「つゆはらい」の世代のぼくたちは、いつの時代も大人数。
どこへ行っても、競争にさらされます。
ただ、この年齢のときは、そんなことも知らずに無邪気に遊んでいました。
「砂山に作ったトンネル」「小さなプール」「L字型のちいさな園舎」。
断片的ではありますが、鮮明な記憶もたくさんあります。
当時、その幼稚園には、3つの組がありました。
「つばめ」「はと」「カナリヤ」。
ぼくは、「つばめ組」。
おっさんになった今でも、当時使っていた小さなタオルがあり、「つばめ」と書いてあります。
担任の先生は、「水島先生」。べっぴんさんで、ピアノが上手でした。
「おひるね」の前に、かならず「エリーゼのために」を弾いてくださいました。
したくない昼寝でも、その曲を聴くと、みんなおとなしくなった?ような気がします。
その後、どんな時であっても、この曲を聴くと「幼稚園時代」を思い出すんです。
いま、その曲が流れて、昨日の「カナリヤ」の記事を眺めていたら、
その時代のことを、いろいろと思い出してきました。懐かしさに、こみあげるものがあります。
母が仕事のときは、祖母が迎えに来てくれました。
そのときよく着ていたのが、うす紫色のワンピース。
その記憶が、とにかく鮮明なのです。
先日、祖母がなくなってからしばらくの間、
その祖母が、うちのリビングに来ていたといいます。(よめさんが感じたといいます)
そのとき、その服を着ていたらしいのです。
ぼくの、その「想い」がそうしたのかもしれません。
ふとした折に、こうして「昔」を思い出すことができる。それがうれしいことです。
「カナリヤ」と「エリーゼのために」に、「ありがとう!」
そういえば、何年か前に、ぼくの通っていたその幼稚園が「閉園」したそうです。
いまはなき思い出のひとこまを、大切に記憶の抽斗にしまっておきたいとおもいます。
店主さんが、開店とその後のお話を、とてもわかりやすくまとめておられます。
これを読むと、なんだかぼくにも「お店」ができるように思ってきました。
「やりたい」と思ったら、本当にやるか、やらないか・・・・。それだけなんですよねぇ。
ただ、「つづけてゆくこと」が、やはり一番難しいことなのかもしれません。
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いま、この文章を綴っている間、「エリーゼのために」が流れてきました。
先日、「おかいもの彗星」がもたらしてくれたCD「クラシックベスト100・2」の中の曲。
この曲には、思い出が詰まっているんです。月並みですけど・・・・。
ぼくが、通った「茨木市立三島幼稚園」の時のお話です。
団塊ジュニアの「つゆはらい」の世代のぼくたちは、いつの時代も大人数。
どこへ行っても、競争にさらされます。
ただ、この年齢のときは、そんなことも知らずに無邪気に遊んでいました。
「砂山に作ったトンネル」「小さなプール」「L字型のちいさな園舎」。
断片的ではありますが、鮮明な記憶もたくさんあります。
当時、その幼稚園には、3つの組がありました。
「つばめ」「はと」「カナリヤ」。
ぼくは、「つばめ組」。
おっさんになった今でも、当時使っていた小さなタオルがあり、「つばめ」と書いてあります。
担任の先生は、「水島先生」。べっぴんさんで、ピアノが上手でした。
「おひるね」の前に、かならず「エリーゼのために」を弾いてくださいました。
したくない昼寝でも、その曲を聴くと、みんなおとなしくなった?ような気がします。
その後、どんな時であっても、この曲を聴くと「幼稚園時代」を思い出すんです。
いま、その曲が流れて、昨日の「カナリヤ」の記事を眺めていたら、
その時代のことを、いろいろと思い出してきました。懐かしさに、こみあげるものがあります。
母が仕事のときは、祖母が迎えに来てくれました。
そのときよく着ていたのが、うす紫色のワンピース。
その記憶が、とにかく鮮明なのです。
先日、祖母がなくなってからしばらくの間、
その祖母が、うちのリビングに来ていたといいます。(よめさんが感じたといいます)
そのとき、その服を着ていたらしいのです。
ぼくの、その「想い」がそうしたのかもしれません。
ふとした折に、こうして「昔」を思い出すことができる。それがうれしいことです。
「カナリヤ」と「エリーゼのために」に、「ありがとう!」
そういえば、何年か前に、ぼくの通っていたその幼稚園が「閉園」したそうです。
いまはなき思い出のひとこまを、大切に記憶の抽斗にしまっておきたいとおもいます。
by bochibochi35
| 2006-07-11 09:17
| 今は昔のつれづれ草