早朝散歩と広州郊外調査
短い旅の間にのんびりとはしていられない。限られた時間のなかで精一杯旅を楽しみたい。
調査に歩く間は、その「資料写真」に集中したいので、よっぽど余裕のあるとき意外は「ライカとモノクロ」の出番がない。それではかわいそうなので、「よし!朝は早起きを!」
6時に「モーニングコール」を頼んで、早起き。「早起き」はぼくの得意技のひとつ。もう3日目。
体は普通のひとと同じ「時間」で動いている。こうなれば早起きなんて苦にならない。
「早起きは三文の得」というけれど、いまやもっと値打ちがあるような気がする。
中国人の朝は早い。6時半前には、ぼくは街を歩き出していたけれど、中国の人は、たくさん動き出している。仕事をする人、運動をする人、太極拳を舞う人。何をしているのか皆目わからない人もいる(笑)。これが中国のおもしろいところ。人のことなど気にせずに自分のしたいことを好き勝手にしている。で、ぼくもカメラ片手に「お散歩」。
相変わらず、ぼく自身は臆病者なので、不躾に人にカメラを向けることができない。ひかえめに後姿を撮らせてもらったり、「ものや風景」にカメラを向けることがおおい。それでも初めての街は、いろんなものが新鮮に目に飛び込んできて、あちらこちらを「ぱちぱち」と撮りすすむ。
南国の湿気で、小一時間ほど歩くと背中がびっしょり。心地よい汗をかいた。
今日は先生と「飲茶」に出かけようということになっていた。近くの勝利飯店で「飲茶」をやっているのを、昨日確認済み。システムはよくわからないが、とにかく席につく。店員さんにまずお茶を注文。そして、粽とお粥も。あとは回ってくる点心から好きなものを選ぶ。たまにぼく達の口に合わないものもあるけど、美味いものはとびきり美味いし、安い。朝から美食に大満足。
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月曜日の平日とあって、ガイドさん達は渋滞にかかって9時半に到着。調査開始だ。
今日は「広州郊外」へ足を伸ばす。
まずは、「南海神廟」(海の神様、道教)。航海の安全祈願などをしたところらしい。
アラブ商人ともかかわりがあった証に、「駱駝」の石像が残っている。ただ文化大革命で、かなり破壊され、いまもその残骸が寺の隅の草むらに放置されていた。ここにも「文革」の影。中国には「これ」が多い。残念だが、時に政治は「すぐれた文化」を否定しようとするもの。
その後、「長州」。珠江の中洲。広州への玄関口にあたるこの島には、船で渡る。砲台の跡や船のドック跡が残っている。いくつか探し当たらなかったのだが、その過程で「水上居民」の船や広州特有の民家の集落などに行きあたり、思わぬ収穫。路地裏でサッカーに興じる子供達の写真を「ライカ」でぱちり。ぼくも収穫(笑)。町外れの食堂は、素朴だけれどすべてが美味い。「スズキの煮物」「梨のスープ」「焼き鳥」・・・・あぁ~また食べたい。
午後には、珠江の河口「虎門」を目指す。道々の高速道路から見える「水郷集落」を写真に収めながら、先を急ぐ。「虎門」には、大規模な砲台の遺跡が残っていた。石造りの立派なもの。河口の小島と、対岸にも砲台は設けられたが、実際には役に立たなかったらしい。むなしい歴史の一コマ。今では大橋がその河口の上をまたいでいる。昔の人は、こんなものができようとは想像すらしていなかっただろうな。
おそらく昔とほとんど変わっていないだろう漁船で、夫婦仲良く漁をしている。ここでも時間はゆっくり流れていた。あわててライカを取り出してパチリ。穏やかな時間は過ぎてゆく。
橋のたもとの「海戦博物館」は、「箱」は立派。どこでも同じか?
「国の威信」ってなんだろう?ひとびとは、こころここにあらず。現実を逞しく生きている。