『奇想、天を動かす』 島田荘司 光文社文庫
「長いながい汽車旅」で、札沼線のことを書いたら、わんさんよりこの本のことを教えていただいた。
普段あまり読むことのない「ミステリー小説」だが、このときばかりは心が動いた。
もちろん「札沼線」が絡んでいることに第一の理由が存在するのであるが、他にも幾ばくか、心に引っかかるものがあったのは確かだ。
そうでなければ、すぐ読みたいと思って買ってきたりしない。買うことはあっても、読み始めるまでには、時間がかかったり、いつまでも「積読」で終わってしまうだろう。今回そうならなかったということは、この本に少なからざる「縁」のようなものを感じたからなのだと思っている。
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札沼線を走る夜汽車での出来事から、物語りははじまる。
時空を超えて、明らかになる2つの事件。
深い悲しみの物語は、ひとりの過去のものだけではない。
古い昔の出来事が、現在に脈々と関連してくる。
歴史はつながっているのだ、という事実を突きつけられる物語でもある。
毎日、眠る前に読む。
すぅ~っと眠れる日もあれば、先が気になって読み続けてしまう日も・・・。
ある日のある場面では、続きが夢にまで現れた。とにかく先が気になる。
一週間の間、そのわくわくが続くわけだから、短く感じた。
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昔、ミステリーに夢中になったことがある。もちろん「鉄道ミステリー」。
西村京太郎さんの小説もたくさん読んだ。「時刻表トリック」を考えながら読むのは、面白い。
「人を簡単に殺すからいやだ」という意見も聞いたことがあるが、ぼくはそう考えなかった。
いつの時からか、ミステリーや小説より、「ノンフィクション」を好むようになる。
その後遺症か、最近また小説が面白くなって読んでいると、すぐ本気にしてしまう。悪い癖だ。
訪れたことのある土地の話だと、なおさら想いが深くなる。活字に息遣いが宿る。
文章には、分類のようなものが存在しているが、その分類によって読むことを阻害されたりすることはないだろうか? つい「○○」だから・・・と決め付けてしまう。
「食わず嫌い」と同じく「読まず嫌い」はもったいない。
今回の「奇想、天を動かす」で、またひとつ読書の面白さが増えたような気がする。
「知らなければならない事実」が、またいくつか増えてしまったのだ。
「知らないということを知った」わけだから「知るようにすればよい」。
・・・というのは、「読書の腕前」(岡崎武志著)からの受け売り(笑)
ことばは、正確ではない。うろおぼえ。
これからも「小さな読書アンテナ」をびんびんに張っていようとおもっている。
わんさん!ありがとうございました。